ぶらり歩き

21. 片倉から御殿峠を歩く  町田フットバスガイドブック          平成22年8月21日

 町田の小田急百貨店に買い物に出かけた折に、立ち寄ったお店の方から招待券をいただき、すぐに8階の特設会場で白洲正子生誕百年を記念して開催されていた「白洲次郎と正子の世界展」に足を運ぶ。白洲次郎はイギリスに留学した英語力を生かして、実業家として活躍し、戦後は吉田茂外相の下でマッカーサー進駐軍との折衝に当たり、大活躍をする。戦中に正子とともに、現在の町田市の鶴川に購入した民家を「武相荘」(ぶあいそう)と命名して生涯の生活の場とする。町田に縁の深い二人の展示会会場の片隅で、NPO法人みどりのゆび発行の「まちだフットパスガイドブック」という町田市を中心としたウォーキングコースをまとめた冊子を販売しており、迷わずに買い求める。

 今回はそのガイドブックを頼りに、横浜線片倉駅から御殿峠を越えて相原駅までを歩く。
 8時過ぎに片倉駅北口を出て、浜街道歩きの記憶を思い起こしながら、片倉城跡公園に向かう。現在は八王子市民の憩いの場となっているが、室町時代に築城された片倉城はいわゆる山城で、太平洋戦争時には高射砲陣地として使われたという。入り口を入ると、日彫展で特別賞に入選した作品が展示された彫刻広場(写真1)となっている。ここから登り道に入り、奥の沢を経由して上って行くと、二の丸跡(写真2)に着く。二の丸跡は平らな土地となっていて、同じレベルで周辺には畑が広がっている。

 二の丸から再び奥の沢に戻ると、水車小屋があり水車が音もなく、長閑に回転している。片倉城跡公園を出て湯殿川に並行した小道を進み、蛇行した坂道を上ると松門寺(写真3)がある。延徳元年(1487年)に創建された由緒のある寺院である。創建当時は密教の寺であったと推測されているが、江戸時代に入り禅宗となる。松門寺のように長く続いているお寺では、宗派替えして存続しているものも結構見かけられる。

写真1 片倉城址公園 彫刻ひろば 写真2 片倉城二の丸跡から眺望   写真3 松門寺



 
 松門寺前の蛇行した坂道を少し戻り、フットパスガイドに記述されている道とはいえない擁壁の縁の道に入る。すぐに両側は藪となり、それを払いながら進むと、先ほど片倉城跡の二の丸から見えた畑に出る。畑一帯は台地状になっていてきれいに耕作されている。日差しを遮るものが何もない台地に出て、ここまでは樹木のお陰で感じないですんだ太陽の光の下に放り出されると、改めて今年の猛暑を体感させられる。

 畑の間を通り、道を下ると住宅地となり、横浜線のガード下を潜り抜ける。ここで、フットパスガイドに書かれた道を探し出せず、登りの細い道に入る。心配しながら歩くと、雑木林の中に続く土道となる。あまり人の往来がないのか、クモの巣が張っていて小枝を払いのけながら進むが、右側から横浜線の電車が走行する音が微かに聞こえてきて、少しほっとした気持ちになる。都道長沼片倉線に出て、この道はフットパスガイドの推奨する道と並行する横浜線寄りの道であったことに気づく。長沼片倉線を横断して、鎌倉道と言われる小道(写真4)に入ると、急に小鳥のさえずりが耳に入ってくる。相変わらずクモの巣を避けながらの歩行となるが、ちょっとしたハイキング気分を味わう。鎌倉道がしばらく続き、舗装された道に変わると、塀に囲われた廃棄物を貯蔵しているような施設が現れ、さらに道が広くなると、眼下に宅急便の集配所の建物、駐車場などが見えてくる。そして、道路を横切り御殿峠を過ぎると、結婚式場の日本閣の脇に出る。

 ここから国道16号を数十mの歩道を歩き、右折して古道に入る。この道は一度歩いたことがあるが、樹木に包まれた土道となっていて、写真4の平らな小道とは違い、途中から2本の窪んだ道が並行して現れるが、これが鎌倉古道(写真5)と言われている。右側の古道は窪みが明確に確認できたが、左側はマウンド状になっていてそれらしい道を見つけることができなかった。しばらくハイキング気分でウォーキングを楽しみ、相原駅東側に拓けた住宅街を見下ろす高台に出る。最近、急速に発展している橋本駅周辺に建つ高層マンション群(写真6)が遠望できる。ここから、住宅の中の舗装路を下って相原駅を目指すが、日差しを遮る樹木がなく、汗だくとなって駅に着く。
 約7kmの行程であったが、猛暑の中ではちょうどよい距離であった。

写真4 鎌倉道といわれる小道 写真5 鎌倉古道  写真6 橋本駅マンション群


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